森見登美彦『夜行』のホラー

夜行 (小学館文庫)

夜行 (小学館文庫)

 

森見登美彦の『夜行』を読んだ。正直に言って森見登美彦のこれまでの小説の方が好きだ。しかし、やはりよくできている。

 小説は第一夜〜題五夜の五つの章に分かれている。それぞれの章に、尾道奥飛騨津軽天竜峡、鞍馬と、由緒ある地名の名がつけられていて、その内容も、その土地を舞台とするものになっている。その五つの章の始まる前にもテキストがあり、そこでは、英会話スクールの友人グループが、長谷川というやはりそのグループの一員であった女性の失踪以来十年ぶりに集まった経緯が語られる。そしてその後の第一夜〜題四夜は、「私」がかつて通っていた英会話スクールの友人たちの思い出話として語られ、最後の「鞍馬」は、十年ぶりに集まり、四人が思い出を語った後、鞍馬に向かうところから語られ始められる。

 それぞれの章に書かれているのは、それぞれが旅先で体験した「思い出」ということになっている。それは、第一夜の前の「思い出を語り始めた」という「私」目線の語りや、それぞれの章の冒頭部分で(「◯◯は語り始めた」「◯◯の話だ」といった形で)明示されている。しかし、そのように思って最終話を読むと、違和感がある。その違和感は、すぐに不気味さとなる。この小説の前情報に引きずられているかもしれないが、紛れもなくホラーだ。

 第五夜、「私」が、以下のように語るのである。

 中井さんが尾道のビジネスホテルで岸田道生の絵を見たという話をきっかけに、それぞれが旅の思い出を語ったのだった。尾道奥飛騨津軽天竜峡。それらはとくに何ということもない平凡な旅の思い出だった。ただし、岸田道生の銅版画「夜行」にまつわる旅だった、という奇妙な共通項をのぞくなら。
 中井さんの場合、家出した奥さんを追いかけていったわけだが、それも今となってはよくある思い出話である。武田君も、藤村さんも、田辺さんも、誰もが無事に旅から帰ってきた。
「しかし無事に帰ってこられない可能性もあったわけだ」
 ふとそんな言葉が胸中に浮かんだ。
 旅先でぽっかりと開いた穴に吸いこまれる。その可能性はつねにある。
 あの夜の長谷川さんのように――。

 この部分だけ読めば、あっさり読み飛ばせてしまいそうにも思えるが、しかし、第一夜から第四話までを読んでいれば、決して読み飛ばすことができない。なぜか。確かに思い出話として語られている第一話から第四話は、しかし決して「平凡な旅の思い出」と言えるようなものではないからだ。小説の大部分を為しているそれぞれの話に、「ホラー」という触れ込みに違わぬ不気味さがある。それを、「私」が「平凡な旅の思い出」と言ってしまうのが、最初から読んできた読者には、それまで読んできた話の不気味さ以上に、不気味なのだ。しかし、「私」は、親切にも、我々の不気味さに解答を与えている。「無事に帰ってこられない可能性」――第一夜から第四夜までに語られていた、少なくともそれぞれの夜の結末部分は、どうもその、「無事に帰ってこられない可能性」側の記述であるように読めるのだ。具体的には引用しないが、それぞれの夜の話の終わりから、彼らが「無事に帰ってこられ」るとは、思えない。読者はおそらく、「私」が聞いたという「平凡な旅の思い出」ではなく、「旅先でぽっかりと開いた穴に吸いこまれ」た方の話を読まされている(そして、“そちら”が「曙光」であり、“こちら”が「夜行」だ)。この小説世界において失踪したのは、もちろん長谷川だけではないし、長谷川と「私」だけでもないのである。