児玉雨子『##NAME##』を読む

美砂乃ちゃんといた世界の断片だけは憐れまれたくなかった。目を離せば、あっという間に散り散りになってしまう小さな世界。誰からも覗きこまれたくなかった。そしてどんな美しい言葉であっても物語られたくなかった。怒りと同じで、物語ることができるのもその世界の断片を手放せる者だけだ。

児玉雨子##NAME##』を読む。「ジュニアアイドル」として活動した過去と夢小説への没頭を軸にしたある女性の物語で、基本的には「女性」を扱いつつ、白黒のつかない繊細な問題群。作中で児童ポルノか否かの線引きについて語られる節があり、そこには「二〇一七年」と付されているが、二〇一七年どころではない永い永い飽きを感じつつも、二〇二三年になってなお、猥褻か否か、搾取か否かの線引きなど熱い問題であり続けていて、思うに、線引きの問題というのは、常に現在の問題であり続けるのだろう。イメージしてみれば、ここで言う線というものは、刻んだり描かれたりするようなものではなく、間にぽんっと置かれた紐のようなものなのだ。

しかし、『##NAME##』の語り手「私」は決断する。自身も「グレーゾーン」において関わった児童ポルノを「子供の被害者がいる話」と断じ、「真意」をもって改名を決め、過去の名前と母と、訣別する。冒頭に引用した箇所を読むに、そうして「手放せた」からこそこの物語は「私」によって物語られているわけだが、グレーな、白黒つかない繊細な問題を扱った物語の結末として、そうか、という感じもする。