早稲田大学演劇研究会企画公演『キ麗ナ破壊ショウ動』

早稲田大学演劇研究会企画公演「キ麗ナ破壊ショウ動」公式ウェブサイト
作・演出 主催 早稲田大学演劇研究会
2012年12月13日〜16日 早稲田大学大隈講堂裏 劇研アトリエ

 14日のを観た感想を。一般的な(?)学生演劇というものをはじめて観たのだが、予想をはるかに超えてレベルが高かった(どんな予想だったのか)。ウケはとってくるし(たまにスベってたように思うがご愛嬌)、演出もなかなか上手い。演技を見る目がない(人を見る目がないということですね)ので断定はできないが、演技者のパフォーマンスもかなりレベルが高かったように思う。料金自由設定制というので、「一円も払いたくないデキだったらどうしよう……」などといらぬ心配をしていたが、逆に「もっとお金を持ってれば……」と思ってしまうほどの内容であったように思う。

 物語についてしか語れない人間なので物語について語る。
 おもしろいのが、ポスターはポップ、演者のキャラクターも基本的にはポップなのだが、所々の台詞が案外に重たい、という点である。
 この劇の物語を代表する台詞として「わたしは世界を拒絶します」というものがある。この台詞は現実でのキツイ出来事に直面した登場人物たちが発することで、彼らを「この世界」ではない世界に導くものである。そこは精神的な世界であり、うまく言葉の話せなかったスカイという名の少年や、ヤギ(エクストラバージンオリーブオイルという名前である)さえ、人の言葉を話せるようになり、また現実に対する理解を深めることもできる、そんな世界だ。もっとも、オカマであるケンゾウは、現実を強く拒否するがゆえに現実の善さのようなものを感じられずにいたりするなど、決してそこにいけば救われる、という世界ではない。主人公である少女あこは、その世界に、他の登場人物たちとは違って曖昧に(完全に現実を拒絶しきっていないまま)入ってしまっているゆえに現実に戻れる可能性がある。世界を拒絶しようとした少女が他の登場人物と触れ合うことで現実へと戻っていく、というのがこの劇の物語の非常に安易な要約だ。
 「わたしは世界を拒絶します」もそうだが、「お母さんはわたしのことが嫌い」「好きで生まれてきたわけじゃない」など、もはや「古い」、既に過去の問題群であってもう十分に語り尽くされたような気でいる、そんな台詞が多く発せられる。それらはコミカルな芝居の間々にあって、異様な存在感を見せる。
 ネタが古いという感じは確かに受ける。子どもを縛り付ける学校に対する反感や親への不信、親もまた「人間」であるという問題、「オカマ」という言葉には少し懐かしささえ感じるが、そうした存在が多数者、親にまで拒絶され生きにくいという状況。どれもどこかで聞いたことのある話であるし、それらを題材にした小説やドラマはたくさんある。それらが極めて根強く、今なお残り続ける問題であるというのは確かであるが、それにしても脚本におけるそれらはステレオタイプに描かれているように思うし、また「相手のことすべてはわからない」「世界には良いところもある」、要約してしまうとそんな物語であったと回収できてしまうのであるが、そういった解答というのは少し楽観的すぎるものではないだろうか。
 しかし、確かに台詞は重たく心に残る。あるいはそれらは、私たちのトラウマに触れているのかもしれない。そもそも「世界を拒絶する」という態度は、「世界に拒絶」されたという状況、あるいはされるという恐怖に対する防衛機制に見える。そうした、鋭く重く心の深い部分に届いてしまう言葉をコミカルな劇の中に盛り込んでしまうというのは見事である。そして、この劇からはそうした台詞や高度な演出、演技から発せられるパワーのようなものを確かに感じた。
 ところで、上演時間は90分程で、それをあのテンションでやり切るというのはすごい元気だなと感じたが、しかし客としては少し無駄な部分があるんじゃないか? と思ってしまうようなだるさを少し覚えた。観る側の私が悪いというところもあるだろうが、ほとんど理解できず「今の一連のやりとりは何だったんだ?」と思ってしまった箇所もある。ヤギのくだりは難解だった……。また例えば「この世界」といった言葉がどの世界を指しているのか混乱する、といった、甘さのようなものも感じた。それなりに難解で深みのある物語なだけに、そうしたところで余計に読解を困難にさせているのは残念である。