「遺言」について

学生だった頃、講義で提出したレポート。ひどいものだ……。

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 文芸評論家・井口時男は、鮎川信夫「死んだ男」の書き出しを引用しつつ、戦争文学について以下のように述べる。

生き延びた者が死者によって問いつめられる。生き延びた者は,問いつめる死者への強いられた応答のようにして文字を書き始める――たしかにそれが,「戦後詩」のみならず,「戦後文学」の始まりだった。
(「死者の記憶―「戦後文学」を読むための一つの視点」)

 死者の「遺言」を聞き、それへの応答として、文学は戦争という暴力を「遺言執行人」として書き始める。
 しかし、死者の「遺言」を聞くことは、容易いことではない。井口時男は先に引いたエッセイで、死者の「遺言」が生者のイデオロギーによって利用されることがあると書く。それは例えばナショナリズムにおいてであり、B・アンダーソンが『想像の共同体』で批判した「代弁」であろう。

ミシュレは多くの名もなき死者たちに代わって話すと主張しただけではない。かれらはかれらが「本当に」言わんとし「本当に」望んだことを自分自身「理解していなかった」、だからかれが言う、と強烈な権威をもって主張したのだった。このとき以来、死者の沈黙はかれらの深層の願望を掘り起こすのになんの障害ともならなくなった。
(『想像の共同体』)

 このように、死者が「名もなき」死者である時、その「遺言」は「代弁」する者の「深層の願望」に過ぎない。
 林京子の短編小説「空罐」もまた、死者の「遺言」を問題とした作品として読むことができるだろう。しかし、そこでの死者の「遺言」の描かれ方は、決して「代弁」ではなく、また語る者の「深層の願望」ともなりえない。
 「空罐」の登場人物であるきぬ子は、原爆の閃光の中で、「大きな口をあけて何事かを叫んだ」T先生という人物の唇の形を、「最後の言葉を、何とか理解してあげたい」という思いから、繰り返し思い描いている。それは、「心の負担」とさえなっている。『戦争を〈読む〉』の中で川口隆行は「空罐」を分析し、「どうにかして「わかろう」とし、それでも「わからない」まま苦闘するからこそ、T先生の最後の言葉はきぬ子のなかで生き続けているのだ」と言う。「空罐」の中で死者は、確かに空白の「遺言」を残したが、それをきぬ子が「代弁」することはしない。繰り返し脳裏で再生し、その意味を問い続けるのみである。
 近年では、岡田利規が「地面と床」(新潮2014年01月号掲載)において、生者と死者の関係を問題にした。その中に、「死者には 権利がある」「忘却に抗う権利が」という言葉がある。また彼は「地面と床」に関する記事の中で、以下のように述べている。

死者と生者の利害が対立する事態を見つめるために、この作品をつくりました。双方の利害関係の調整のために、もっと多大な〈外交的努力〉が払われるべきではないか、なんてことを最近ときどき思うのです。わたしたちはその努力を、ずいぶん怠っている気がします。
岡田利規「クンステンのための「地面と床」ノート0509」)

 再び井口時男のエッセイから「戦争は大量の死者を作る。しかし,文学が問題にするのは固有の死者である」という言葉を引きたい。「空罐」においても、「地面と床」においても、死者は名をもった、固有の死者だ。戦争の生み出す死者の統計的な数字が「遺言」となる時、どうしてもそれは「代弁」の性質を帯びるだろう。
 そして、死者に「忘却に抗う権利」を認めようとすれば、それは文学の形を取らざるを得ないのではないか、と私は思う。「空罐」のきぬ子は、死者の「遺言」を再生し続けることで、死者を思い出し続ける。空罐の中身が名のある死者の骨であったように、「遺言」は死者の記憶そのものだ。「空罐」はただ他者としての死者を提示するのである。
 そのような死者の「遺言」が、「負担」となってしまうのも事実である。しかし、だからと言って、生者のために死者を忘却することが認められてしまうのもまた、違っているだろう。そこに、岡田利規の言う〈外交的努力〉が必要となる。生者と死者の間で持たれるべき関係は、互いの利害を調整する外交的な対話なのだ。『想像の共同体』の中で批判されたミシュレの語り口が問題なのは、それが死者との対話でない点であるように私は思う。対話とは、冒頭で引いた井口時男の言葉を使えば、「問いつめ」と「応答」となるだろう。死者を他者として呼び起こさない限り、それは起こりえない。ミシュレは、死者の「遺言」を生者の驕りによって黙殺してしまったのだ。
 戦争という暴力を文学が語る時、それは死者との対話として始められる。死者を忘却すること、死者の「代弁」をすること自体がまた、死者に対する暴力であるとも言えるだろう。戦争文学は、死者との対話によって、二重に暴力に抗し得るのである。