酸漿に似た富士と花――太宰治『富嶽百景』

 授業のために、太宰治富嶽百景』を読んでいるのだが、この小説の最後の場面。

その翌る日に、山を下りた。まづ、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、安宿の廊下の汚い欄干によりかかり、富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出してゐる。酸漿に似てゐた。

とある。「酸漿」に似た富士。


 その題が示すように、ひたすら、富士がどのように見えるかが問題となる小説であると言えよう。そしてこの小説で富士が語られるとき、小さな花が、並んで登場することがある。


 まずは、「真っ白い睡蓮の花に似ていた」富士の写真が出てくる。後に配偶者となる「娘さん」との見合いの場面であるが、富士の姿と「娘さん」の姿が「睡蓮」に象徴される白い純真によって結びつけられた表現であると言えよう。そして、この類似から、作家において、この後に続く、富士と花を対置するという発想が見出されたのかもしれない。

 続いて「月見草」が登場する。「月見草」は、バスの中、富士を前にはしゃぐ観光客に対し、じっと断崖を見つめる老婆の有様を象徴するものである。つまりは、巨大な富士、あるいは巨大な何かと、それに対峙して折れない人間、あるいはその人生というような、対比の関係が見出されるわけだ。このような対置は、続く場面では、「なにかしたつまらぬ草花」を積み集める痩せた遊女を富士に「頼む」ところにも表れている。「つまらぬ草花」に名が付されていないことも象徴的だろう。遊女を哀れに思い、共感しながら、自身の無力さを痛感する語り手の視線の中で、巨大なものを前に「つまらぬ草花」に象徴される遊女は、「月見草」と比べれば、あまりに暗く、湿っぽい。だからこそ、語り手は思い悩むわけである。富士と「月見草」に希望を見出しながら、しかし次の瞬間には、富士と「つまらぬ草花」のような絶望を見出してしまうのだ。


 そして、最後の場面になり、レンズをのぞき、「真ん中に大きな富士、その下に小さい、罌粟の花二つ。二人そろいの赤い外套を着ているのである」という表現が出てくる。富士を前に「きゃっきゃ」と笑い、レンズの向こうで急にまじめな顔になる二人の若い女性の姿が、愛らしく、ユーモラスに描かれた場面であり、人間に対する賛歌のように写る場面である。

 

 ここでも、富士と罌粟は対置されているのだが、そこに、富士と「月見草」、あるいは富士と「つまらぬ草花」の対置のような重さはない。巨大なものと対峙して、「月見草」のように揺るがずに立つのではなく、また「つまらぬ草花」のようにうちひしがれながら生きるのでもなく、同じく巨大なものを前にして、凍える冬の峠で、軽妙に咲き誇る。そして最後に、甲府から見る富士は、「酸漿に似てい」る。甲府の「娘さん」との明るい将来を感じさせる描写である――とでも言えば教科書的であるが、しかし、このように、富士と花の関係を追っていくと、「罌粟」と対置された後の富士が「酸漿」に似て見るのは、むしろ富士の小ささを、あるいは(逆に?)、「月見草」「つまらぬ草花」「罌粟」といったものと等価で並ぶものとしての巨大な富士を、象徴するものに見える。最後の場面で、富士を軽妙に享受する二人の若い女性や語り手の姿は、そのように巨大な何かと人間の関係を捉えてみようというような、作家としての語り手の気概を感じさせはしまいか。


 とまあ、しかし、このように読んではみても、この読解に多く弱点が含まれていそうなのは、調べてみなくともわかる。また、考査や成績のことを考えると、結局、「指導書」的な解釈を「教え」てしまわなくてはならない。そう、してしまわなくてはならない実力だと言ってしまえばそれまでだが、このつまらなさは、国語における文学の指導の「難しさ」の一つである。