『シン・エヴァンゲリオン』に泣く(微ネタバレ)

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を見てきた。まず、これまで見たことのない映像だと感じた。斬新なメカ描写で、斬新な戦闘描写だった。しかし、作品の出来としてどうこうではなく、すべてを理解してしまったという感覚があった。号泣した……と書きたいところだが、気持ちの上では号泣し、涙はもう長らく出ていない。大人になってしまった……。

ついこの間、『序』を見たのだが、そのときにも私は、むしろ大人へと感情移入してしまうことに触れ、大人の描写の深まりを感じていたようである(この日記)。そして『シン・エヴァ』は、少年の頃に本編を見て、大人になってしまった私たちに、一番わかってしまう映画なのではないかと、そう思った。これが幼稚な傲慢さであることは理解しているが、他の誰よりもわかってしまったと、そういう感覚がある。つまりは、エヴァンゲリオンは、本編は少年の目線で描かれ、新劇場版には大人の目線が導入されている。

私は高校生のとき、人類補完の欲望やゲンドウの欲望が、まったく理解できなかった。そしていまや、ユイと再び会いたいというゲンドウの欲望が心の底からわかってしまう大人になってしまった。同時に新劇場版は、本編を見ても理解し難かったゲンドウの気持ちが、わかってしまうように作られている。

そして私たちはそうした欲望が、幼稚な、リアルではない、紙やスタジオの上でしか再現できない欲望であることも、わかってしまっている。『シン・エヴァ』の描写は、そのような大人としてのありさまを映し出す鏡であった(あるいは人は、子供のまま大人になるのかもしれない。子供のまま、大人を纏っていく……)。

エヴァンゲリオンを見てきた者には、アニメ本編より、すっきりした物語に見えるだろう。もちろん、細部の設定や演出は一度見ればわかるというものではなく、これまでどおり理解を拒絶するようなものになっているが、総体としては、入ってきやすい。おそらく、アニメ本編がストレートに描ききらなかった(きれなかった)、大人の、あるいは成長のありさまを、この劇場版はほとんど強引に描ききった。

エヴァンゲリオンすべてを締めくくるフィナーレにふさわしい、壮大で力強い、神話的な物語と演出。語りきれない。何について語ればいいのか、しかし、あらゆることについて語りたいと思わせる、オタク心くすぐる映画。エヴァンゲリオンに出会い、オタクとして育ち、大人として生きている私たちに届けられた贈り物のようにも思える。

 

感想記事②『シン・エヴァンゲリオン』シンジの新しい恋人について(ネタバレあり) - 朝霧記