『シン・エヴァンゲリオン』シンジの新しい恋人について(ネタバレあり)

エヴァンゲリオン新劇場版には、真希波・マリ・イラストリアスという、アニメ本編には出てこないキャラクターがいた(漫画版のキャラクターではあるようだ)。萌える(?)女性キャラクターで、私もなかなか好きにはなったが、しかし、彼女は何のために登場したんだろう? また、『Q』から登場する、トウジの妹や は、何のために? 彼女たちニューヒロインは、単なる物語の華なのか? 『シン』を見る限り、そうではない。むしろシンジが真エンディング=成長に進む上で、決定的な役割を果たしているのが彼女たちだ。つまりは、シンジが、誰もが自分の恋人=ヒロインとなる(そこでは、母性でさえヒロインのものである。エディプス的欲望)深夜アニメ・アダルトゲーム的で幼稚な世界から、他者には他者の恋人がいて、自分もまた新しい恋人を見つける世界へと進むとき、エヴァのない世界に復活したシンジのその新しい恋人となるのが、イスカリオテのマリアと呼ばれる真希波マリなのである(イスカリオテとは裏切り者ユダの出身地で、ネルフへの裏切りを指すのだろうが、マリアとは、マグダラのマリアから取られた名だろう。娼婦にして、神の子の恋人)。

エヴァ本編のヒロインたちは、新劇場版後半では、シンジから一定の距離を取る。Qの冒頭、シンジに感情移入して感じる突き放された感覚は象徴的だろう。式波アスカも、葛城ミサトも、トウジの妹サクラや北上ミドリといった印象的な新しいヒロインたちも、むしろシンジの敵として映る。ヒロインたちはシンジを拒絶する。残されているのは綾波レイからの好意だけだったから、シンジは綾波にすがることになる。

そして『シン』である。『シン』で「設定」が次々と明らかになり、綾波はシンジに好意を抱くよう調整されていたと判明し、直後に彼女は消滅する。シンジは恋人を失うのだ。またアスカには、相田ケンスケ(ケンケン)という恋人がいて、シンジには「好きだった」と告げる(加えれば、委員長ヒカリはトウジとの間に子をもうけている)。サクラやミドリは、シンジに銃口を向ける。シンジは、そのすべてを受け入れる。そしてミサトは、「大人のキス」(旧劇)ではなく、むしろ母親(保護者)としてシンジを庇う。

そして、最後のシーンでは、シンジはマリに対して、リョウジを彷彿とさせるやり方で好意を表現する(リョウジはシンジの大人のモデルとなったのだろう)。

レイやアスカに加えて新たに登場したエヴァパイロットのマリは、一部の観客にも受け入れがたい存在だったようだ。私自身、レイとアスカという二大ヒロインで完結した世界に、同列の存在としてマリが加わることには多少の違和感があった。しかし、この新しさが、シンジの恋人には必要だったのだろう。つまり、幼稚な、閉じられた世界を失って、それでも生きていく上で、新しい世界に踏み出し、新しい人間関係を作る、そうした大人的生き方を象徴するのが、マリの存在だ。

 

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