中森明夫『アイドルにっぽん』

アイドルにっぽん

アイドルにっぽん

 

アイドル語り歴の長い筆者の、往年の美少女アイドル論を中心とした論考集成。現在語られている論点のうちのいくらかは既に彼によって書かれていた、というのも多いし、論としての質はさておき、彼の鋭さが伺える一冊。「アイドル少女のヴァージニティー(処女性)は、もはや現実には憲法第九条とも等しい、“叶えられるはずのない崇高な夢”となり果てた。しかし、その“夢”が捨てられたら、その瞬間、アイドルはアイドルであることをやめるだろう。」という一文はアイドルを取り巻く環境に変わりがないこと、この本が今なおいくらかの有効性を保っていることの証明であるように思う。彼の文章は好き嫌いわかれるものであるだろうが(僕もそれほど好きではないが)、彼が「持ってる」ライターであることは確かだ。

天皇はアイドルである、と中森明夫は言う。天皇制云々は高度に政治的なので不勉強なままあまり語りたくないが、しかし、アイドルが天皇のようなものであるのは間違いないように思う。

アイドルと他のアーティストや俳優を分けるものは何か。それは、アイドルが、より強く「愛されるべき存在」として我々の前に登場することにあると私は思う。愛されなければ、アイドルは存在しない。アイドルに関して言えば、歌が上手い下手、演技が上手い下手ではなく、愛される愛されないである。生まれもって(売り出されて)愛されるべくそこにいる存在。こういう意味で、個々のアイドルは天皇のようである。そして国民は、そのファンである、と中森明夫は述べる。

「アイドルの人権」の話は、天皇制の問題とも密接に関わる。天皇一家に対する束縛の問題とはレベルが違うのではあるが、ステージの上やカメラの前だけでなく日常生活の中でもSNSなどである程度の発信力を持った素人の監視を受けるために、アイドルを演じざるをえない状況は、職業アイドルである人々を損なわせるものである。アイドルにおいてはイメージ、戦略が当のアイドルに先行する。人に強い偏見と共に接する人間は思想の進歩と共に減りつつある、少なくとも「いけないこと」という認識は持たれ始めていると信じているが、アイドルについて言えばその状況はまったく変わっていない。

アイドルの定義について。中森明夫はアイドルを、価値がなくともただ愛されるだけの存在、と定義している。
しかしもちろん、この定義でアイドルのすべてを語り尽くすことはできない。アイドルの定義についてはまたいつか書きたい。