片渕須直『マイマイ新子と千年の魔法』

マイマイ新子と千年の魔法

マイマイ新子と千年の魔法

  • 発売日: 2015/05/25
  • メディア: Prime Video
 

子どもは、思っているほど子どもじゃない。彼や彼女は立派に知恵を巡らせ、その小さな身体で立派に生きている。小さな足で、堂々と歩き、時に走り、時に迷って泣いてみたり、それでも環境のいろいろなものを吸収し、確実に成長していく。

本日渋谷のシネマ・アンジェリカでこの映画を観てきました。小さな子どもも何人か来ていました。でも、ほとんどが大人の方でした。本編前にはR15+な映画の予告が流れ、おいおい大丈夫かよ、と思ったものです。アニメ映画の前に、こんなの流していいのか?

実際、子どもたちには少し退屈だったんじゃないかと思います。心踊るアクションがあるわけでもなく、楽しいキャラクターが出てくるわけでもない。

しかし、それはしょうがない、というよりは、そういうアニメーションフィルムではなく、子ども時代を終え、子どもを見守る立場となった大人のための作品である。僕はそう思ったのです。ぜんぜんまとまりませんが映画を見て思ったこと、書いておきます。ネタバレはほとんど無いので、ぜひ映画館に足を運んで欲しい。上映している場所はもうほとんどないのですが……見て損はないと思います。

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この映画の凄さはまず、子どもが子どもであること。それは、大人から見た子どもらしさではない。あくまでリアルな、子どもの頃に見た子どもたちなのである。そして、キャラクター。アニメにありがちな、ただ大人しい子、ただ元気いっぱいわんぱくな子、ただ悪い奴――そんな人間は、この映画にはいない。一人一人が「リアル」な人間であり、人間らしく心情は変化し、表も裏もある、そんなキャラクターたちが戦後間もなく貧しさの残る田舎町を駆け回る。

子どもたちは決して単純ではない。ある子どもは普段はみんなを引っ張ていくが、時には落ち込む。いつもは大人しい子どもでも、はしゃぎすぎて失敗したりする。
そして自然、大人たちの構成する社会は共に不条理であり、自分勝手に子どもたちを巻き込む。いつもは優しい自然は時に子どもたちに絶望を投げかけ、いつもは優しい大人たちも平気で子どもたちを裏切る。

それでも子どもたちは、その絶望と裏切りに対して、決してただ流されるだけではないのである。時に正面からぶつかっていき、時にはそれらを楽しんでしまう。不条理に対して、時には泣くが時には笑うのだ。この映画のもう一つの特徴、主人公の子どもたちの想像から生まれた千年前の世界。そこにあるのもまた、不条理に対して悲しみ、そして立ち向かい、笑う子どもである。

この作品の作者たちが彼や彼女を通して伝えようとしていることは何か――。それは、「子どもは素晴らしいね」とか「昔は良かったね」とか、そんなものだけではないように思う。確かに主人公は小学生の子どもたちであるが、描かれているのは決して「子ども」だけではない――そこにいるのは、「人間」たちである。今も昔も変わらない人間たちの姿。そしてそこにあるのは、美しい、優しいだけじゃない世界。多様な人間と多様な世界が織りなす映画のメッセージ。あまり上手く言葉にできないですが……言葉にできないから映画という形になったのでは?

以上。ぜんぜんまとまらなかったけれど頭の中に浮かんだ言葉は全部書きましたよ。まあ、とにかく良い映画なので、ぜひ観て欲しい! 終わり!