東京デスロック『シンポジウム』

東京デスロック「シンポジウム」@富士見(7/28)

 これは演劇だろうか? こう思う者も多いだろう。私も芝居の始まってからの一時間は、そのような疑問を抱いた。
 小さな空間、左右の壁際に四つと五つの椅子が用意されていて、前方には司会者の椅子と机がある。客は、左右の椅子の間に座ることになる。壁には注意書きに、背後のカメラで撮られているリアルタイムの映像が重なって映しだされている。
 そして芝居が始まる。「饗宴」の説明が映しだされたあと、役者たちが左右の椅子に座り、東京デスロック恒例?の自己紹介がされたあと、テーマとして「なぜそこに住むのか?」が提示され、〈饗宴〉が始まる。ようは話し合いである。この最初のテーマは、どこにも行き着かないまま「時間切れ」で終了し、次のテーマ、「選挙 その後について」に移行する。ここでは、韓国人の俳優が通訳を介して左翼の常套句的な安倍政権批判を展開し(その内容自体について非難するつもりはないが)、福島に行った時の話が挿入され、福島の映像も流され、当事者意識のようなものが問題にされたりもするのだが、大した展開のないまま、やはり時間切れで終わる。ここまでが芝居の半分、約一時間である。
 司会者が話をふったり、役者が自主的に発言することで、話し合いは進行する。役者には青森出身の者が三人、他北九州の役者や韓国の役者がいる。そしてそれぞれによって、例えばなぜその町に住むのかについてなら、どこでもいい、ここには住みたくない、仕事、食料、雰囲気……などと、住む場所についていろいろなことが語られるが、もちろんある結論に至ることはない。どちらのテーマも、結論に至ることのないものだからである。
 そもそも、この話し合いにおいてはうまく進行することが目指されていないのだろう。どこまでが即興で、どこまでが台本なのかもわからないのだが、役者たちの発言はどこか的を射ていない。それに、司会者もほとんど効果的な仕事をしない。ただ、役者たちが椅子の上に座り、背もたれに座り――と、妙に落ち着かないのは、おそらく演出されてのことだろう。そうした動きもまた、もどかしさを掻き立てる。もどかしさ――それは違う、と声を上げることは、客には許されていない。東京デスロックは過去にも、例えば平田オリザの「東京ノート」の演出でも、客を演技をする役者の間に座らせる、といったことを行なっている。「途中で移動しても構わない」というのも、「シンポジウム」と「東京ノート」では共通している。そして、移動する者が実際にはいないことも、共通している――。「シンポジウム」の中で客は、左右を椅子に座る役者に挟まれ、まさに頭上を議論の飛び交う状況に置かれている。しかしそれでも、客と演者の間には、確かな壁が存在しているのである。我々はもちろん意見を言う能力を持っている。しかし、客と演者の壁がある劇空間の中で、我々は通常、発言することを自主的に禁じている。内面化された規則、と言っても良いだろう。うろ覚えなのであるが、解体社「TOKYO GHETTO」がクロアチアかどこか、とにかく欧州の国で上演された時、舞台上で演者の女性が演者の男性に背中を叩かれ続けるという演技を観た客が、舞台に登ってそれを止めた、といったことを西堂行人が書いていた(『劇的クロニクル―1979~2004劇評集』)。それが欧州では普通、とは言い切れないし、どちらかというと異常事態なのだろうが、しかし、日本の観客が客席と舞台の壁を越境することは、ほとんどありえないと言える。「シンポジウム」は、我々のこの内面化された規則を利用し、非常にもどかしい空間を演出する。
 この「演劇」の動き出すのは、この二つのテーマに関する役者どうしの議論の後である。「お茶菓子の時間」と称し、役者たちが菓子と飲み物を客に配り、客の間に座り、自由に会話する。ここからが、〈饗宴〉である。
 客の間に座った役者は、何人かの客を集め、会話を展開する。それは日常的な、「どこから来た」「なぜ来た」といった話なのだが、客たちは、ほとんど役者の操作するとおりに発言を始める。ここでは、役者は司会者的な役目を演じるのである。
 場が暖まってきたところで、司会者が代わり、「SNSについて」という題を提示する。そして、役者は続けて、客たちとSNSについての会話を始める。「SNSについて」……それは答えのあるはずもない、向かう方向さえ定められていない、故に自由に語れるテーマ設定の仕方である。「なぜそこに住むのか?」というテーマ設定もそうであった。「選挙 その後」のテーマにおいては役者たちの左翼的言説のみ語られ、黙っている者もいた。しかし、「なぜそこに住むのか」「SNSについて」は、誰もが語れる、行き着く場所のないテーマである。
 やがてテーマは「愛について」に変わる。確か沖田みやこであったと思うが、女優が一人、愛について、しどろもどろながらも語る。それはあるいは「下手」なのかもしれない。次に、韓国人の俳優が、韓国語で、愛について語り続ける。ここはこの芝居の中で私が最も感動した場面である。当たり前であるが、日本人の多くは韓国語を解さない。しかし彼は、通訳を介さず、韓国語で語り続ける。客も俳優も、黙ってそれを見つめている。何も理解できないはずなのに、しかし、確かに何かを我々は感じ取る。
 そして最後のテーマ。「人に思いを伝えて、何か良いことがあるか」。我々は何も語れない。俳優たちが黙っているからである。数分、黙ったままの時間が続き、そして「シンポジウム」は終わる。
 演劇が終わった時、私は絶望感に包まれた。我々はここまでお膳立てされなければ、「SNSについて」のような誰でも語れる緩いテーマについてさえ、話し合うことができないのだろうか? そして、演劇の空間で興されたものは、その空間を出れば、すぐに消えてしまうのか?
 この演劇は、〈饗宴〉を興すべく行われた、と解釈することもできる。そのために、我々の頭上で「下手」な話し合いを行わせ、もどかしさを貯めこませてから、客に語らせる時間を作った。しかし、この程度の話し合いは、例えば大学の講義の中などでは、ごく簡単に起こりえるものである。そんな簡単なことさえ、日常生活の中で我々は、行えないでいるのか? それが絶望の一つ。
 そしてもう一つが、演劇が終わった直後、我々は何も語ることができなくなった、という絶望。演劇が終わった時、〈饗宴〉は終わらせられたのである。
 演劇は異化的な体験である。それは圧倒的に非日常である。しかし劇が終わり、役者たちが並んでそこに拍手を送っている間に、異化は解ける。客は日常へと帰っていく。これを、ある程度終わらせない方法もある。例えばポツドール「夢の城」では、シームレスに演劇が終わり、舞台の上のガラス窓に客席を反射させて映し出した。我々は拍手もできぬまま、客席を出ていかなければならなかった。しかし「シンポジウム」では、多くの演劇にならって、「終わりです」の宣言があり、役者の出ていくのに客は拍手をする。その時、客の間に芽生えていた、〈饗宴〉的な雰囲気もかきけされるのである。劇の間、にこやかに会話していた客が、元々連れ立って来たものを除いては、黙って帰っていく。
 私は最初、この劇は、〈饗宴〉を興すことを意図したものだったのだと解釈した。しかし、それは違うのだろう。むしろこの絶望感こそが、この演劇の意図したものだったのではないだろうか。話し合いの下手さ、もどかしさ、それを感じても語れない外側意識を持った傍観者、当事者意識を持つことを要求する左翼的言説(もちろん右翼的言説にも問題はあるだろうが、この劇の中で語られたのは左翼的なもののみだったので)、お膳立てされなければ語れない人々――「シンポジウム」は、〈饗宴〉を興すべくあったのではない。むしろこの劇は、この国に〈饗宴〉がないことを、明視させるべくあったのである。そのためにあえて、芝居を確かに終わらせる必要があった。演劇と日常を隔てなければならなかったのだ。明視させること――演劇の原則に忠実なこの公演は、やはり演劇である。