アリストテレス「詩学」と現代演劇

 

 

 数千年前、まだこの世にドラマ=演劇などという概念のなかった時代の「演劇」論。

 例えばカタルシスなんて言葉、俗に使われることはあれど、現代演劇を語るのに用いるとなんとなくうさんくさい感じがするし、芸術は現実のミメーシスなどと言うと、笑われてしまう気さえする。無論、これらが超重要概念であることは疑い得ないのだが……。

 ところで、近代的なリアリズム演劇に慣れている私は、音楽やリズムでおしゃれに彩られた現代演劇(リズム演劇?笑)を観て新しさを感じたことがあった。しかし、音楽やリズムは、アリストテレスにしてみれば、演劇の条件である。エリオットの指摘するように、その伝統はシェイクスピアにももちろん息づいている。

 イプセンから続くリアリズム演劇は、音楽やリズムによるカタルシス――いわゆる「感動」?――を否定するものであったと言えるだろう(音楽を使えば盛り上がるというのは、ドラマや映画に慣れている我々には理解しやすいことだ)。おしゃれな現代演劇で音楽やリズムが用いられているのは、ある意味ではそうした近代的な演劇に抗するようなものであるわけだけれども、こうした歴史を考えると、手法としては、ある意味では古典への回帰なのかもしれない。