感想:モネ展 「印象、日の出」から「睡蓮」まで

モネ作品集

モネ作品集

 

 東京都美術館モネ展を観てきた。美術については素人なのだが(あらゆることについて素人なのだが)、思ったことのメモなどを書いておきたい。

 『印象・日の出』を見れなかったのだが、しかし自分には連作『ヨーロッパ橋・サン=ラザール駅』の方がおもしろいのではないかという気がした。蒸気機関の鉄道を好んだ芸術家といえば、私はまずドヴォルザークを思い出す。ドヴォルザークの曲には蒸気機関車の走行音や汽笛を思わせるモチーフがあるが、モネもまた鉄道を好んで主題にしていたらしい。気になって調べてみれば、モネは1840年生まれ、ドヴォルザークは1841年生まれ。同世代の芸術家なのである。1840年代はちょうど鉄道の敷設が進んだ時期である。鉄道は今でも男心をくすぐるものであるが、彼らもまた、その無骨な風貌に惹かれていたのだと思うとおもしろい。
 もちろん『印象・日の出』前後の風景画もとても美しかった。改めて、絵画と写真は競合しようもないと感じた。風景、美に対するアプローチの仕方が、やはりまったく異なっている。

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"Claude Monet 004" by クロード・モネ - The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH.. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

 そして水面に浮かぶ小舟を描いた『小舟』や『睡蓮』の連作も興味深かった。それらの絵においては、水中にあって見えるもの・水に映って見えるもの、水面上にあって見えるものが描かれる。当然水面上にあって見えるものがもっともはっきりとした輪郭をもって描かれることになるのだが、水中にあるものと水に映っているものは渾然としている。我々がその絵を見るとき、見えているのはキャンバスに載せられた絵の具だが、そこに描かれているのは水面上にある実物と、その外側を反射しながら、その内側も透けて見させる水面という一枚のスクリーンなのである。
 モネにとっては、描く対象それ自体ではなく、光や空気といった、大変と眼の間に「介在するあらゆるもの」こそが大事であったと、この企画展の文章にあった。水は「介在するあらゆるもの」の一種だろうが、水を描くということは、光や空気を描くこととはまた違っている。水は対象との間にあるものであると同時に、こちらを映してもいる。これは、見ることと、どこか似ているところがあるのではないだろうか? さらには、絵を見ることとも、似ているように感じられる。それは主体と対象の間にあるものであるが、ただ間にあるのではなく、主体のいる外側を映しもする。ただニュートラルに介在するのではなく、介入しているのだ――うまく言語化できていないが、そのようなことを考えた。彼は繰り返し水面を描き、白内障を患った晩年には彩度の強い渾然とした世界を描いた。それは、白内障の眼をもって見ることが介入して描かれた世界である。そしてそのように描かれた絵が、ただ対象と鑑賞者の間に介在しているのみであるはずがない。

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"Claude Monet - Water Lilies - 1906, Ryerson" by クロード・モネ - 不明. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.