演劇は現実を変えられない――東京デスロック『シンポジウム』

 東京デスロック『シンポジウム』について。レポートとして提出したりしたものの改稿です。

 東京デスロック『シンポジウム』について考える前に、彼らが今年の一月に行った『東京ノート』の公演を思い出さなければならない。
 平田オリザの戯曲『東京ノート』を、平田自身の演出した際には、舞台と客席はきれいに隔てられていた。これは、一般的な演劇の構図である。芝居は舞台の上で行われるものであり、客席は見えない壁で隔てられた安全な場所である。演劇においては長らく、こうした前提が共有されてきた。そして、この舞台と客席の壁を取り払おうという動きが、現代演劇では度々見られる。
 二〇一三年一月、こまばアゴラで上演された東京デスロック『東京ノート』もまた、舞台と客席の境界を無くそうとしているように見えた。物語の舞台は美術館のロビーと設定されているが、観客は、あたかもそのロビーの椅子や床に座るようにされており、俳優もまたその中で演技をする。舞台と客席が、重なっているのである。観客たちの中にはあるいは、戯曲の物語の中に体ごと入り込んだような感覚を抱いた者もいるかもしれない。そう思いつつも、私自身はというと、言葉にできない違和感を抱えることになった。
 そしてその違和感は、二〇一三年七月二八日、キラリふじみにて『シンポジウム』を観劇したことで、にわかに輪郭を表す。
 多田淳之介の演出した『東京ノート』『シンポジウム』には共通点が見られる。一つは、舞台と客席が重なっていること。『東京ノート』の状況は先に説明したが、『シンポジウム』では、左右の壁際に役者の座る椅子が用意されていて、客はその間の床に自由に座るようになっていた。そして芝居が始まると、役者たちは『シンポジウム』の題の示すとおり、「親しい雰囲気の中で行われる議論」〈シンポジウム〉を初め、それはまさに我々の頭上を飛び交った。劇中の〈シンポジウム〉――それは曖昧で個人的な言葉の飛び交う、聞いていてもどかしい、「下手」な話し合いだった。司会者もほとんど有効な働きをせず、話し合いの方向性さえ定まらないまま時間切れが告げられ、いかなる結論にも、ある段階までの合意形成にさえ至らない。それが、一時間程続いた。観客はその間ずっと、役者たちの行う話し合いの中にいた。いや、中にいるように見えて、外にいた。それが、『東京ノート』に抱いた違和感の正体であった。観客は、芝居の行われている舞台の上にいるように見えて、実はその外、客席にいた。観客と役者たちは、決して同じ場所にはいなかったのだ。
 『シンポジウム』の中で観客は、話し合いの行われている間にいながら、それに参加することを許されていない。もちろん観客たちは何か発言する能力を持っているだろう。議題は「なぜその場所に住むのか?」「選挙、その後について」といった、比較的語りやすい・観客の中にも何らかの意見を持っている者のいる可能性の高いものであったし、その上、役者たちの話し合いは「下手」なのだ。発言することを願う者も、司会を代わりたいと願う者もいただろう。しかし、観客は皆、黙って、役者たちの話し合いを見ていなければならなかった。それは、観客が観客だからである。観客たちは、舞台と客席、役者と観客の境界を演劇の前提として共有しており、芝居の最中に喋ってはいけない、舞台の上に干渉してはいけない、といった規則を内面化している。『東京ノート』とのもう一つの共通点、芝居の冒頭で語られる「自由に移動してもらって構わない」という台詞は、ここに関わってくる。『東京ノート』においても、『シンポジウム』においてもさらなる特別な指示がない限り、誰ひとり、移動する観客はいないのだ。観客は、舞台上にいるのではなく、客席に座っているのだから。
 私は本稿の中で、舞台と客席は「重なって」いる、と表現してきた。東京デスロック『東京ノート』と『シンポジウム』の状況を説明するのには、これが最も適切な表現であろう。そこでは、舞台と客席は「重なって」はいるものの、決して「混ざり合って」はいないのである。
 『シンポジウム』はむしろ、この、舞台と客席の境界を意識させる、そしてさらには演劇と日常の境界を意識させる演劇であったのではないか。芝居の前半、観客たちは発言することを許されていなかった。それは観客たちにとってもどかしく、退屈な時間で、うつらうつらとし始める者も少なからずいた。しかし後半、役者が椅子を降り、観客たちの間に混ざって、観客の数人を集めた小さなグループを形成する。その小グループの中で役者が語り出すことで、ようやく、観客たちは発言することを許される。役者たちが降りてくることによって観客は舞台に引き上げられ、〈シンポジウム〉に、芝居に、参加させられることとなったのだ。
 この時、舞台と客席、役者と観客の境界は、消えていたとも言える。観客は、役者と同じように、司会者の提示するテーマについて考え、発言した。それは確かにワークショップ的な、観客の参加する時間であった。しかし、観客を話し合いへと誘導していたのはあくまで役者たちであり、役者が黙れば観客もまた黙らなければならなかったことも事実である。それは例えば「愛について」、韓国人の俳優が韓国語で長々と語る場面で露呈する。彼の語る間、通訳も、司会者も日本人の役者たちも、意味もわからないはずなのに黙って彼の話を聞いていた。これは、言葉による話し合い〈シンポジウム〉において起こってはならないことである。しかし、役者たちが黙っているために、観客もまた、黙ってそれを見つめた。愛について、韓国語で語る俳優と、それを解さないままじっと見つめ聞き続ける人々――それは美しい光景でもあり、グロテスクな光景でもある。それは、半ば強制された傾聴なのだ。そして最後のテーマ、「言葉で伝えることは良いことか」が提示された時、またしても役者は何も言わない。それを提示した者も、黙り込んでいる。この、役者たちの語らない数分の間、観客たちは自らが観客であったこと、参加するために来たのではなく観るために来た客であることを思い出し、ただただ様子を伺い、黙っていなければならなかった。この沈黙が終わってすぐになされる「終わりです」の宣言が、観客にさらに追い打ちをかける。続く観客の拍手に見送られ、役者たちが出て行くと、演劇は消滅し、観客は日常へと引き戻される。すると、観客はもう演劇の中で興りかけた〈シンポジウム〉の空気を失い、黙って、それぞれ、帰っていくことになる。
 私は最初、『シンポジウム』の意図を、「この国に〈シンポジウム〉の空気を興すこと」であると考えた。そうだとすれば、『シンポジウム』は失敗している。それは、この演劇の中で行われた話し合いは前述したように「下手」であり、手本になるようなものではなく、また、演劇を宣言と拍手によって完璧に終わらせているために、観客が劇場で得た異化的な体験をまったく外に持ち出すことができないからである。
 しかし、考えてみれば、それは演劇の宿命でもある。演劇は宿命的に、現実から切り離されている。演劇は何かを教えるものではなく、劇場の外の現実を変えていくものでもない。演劇は現実を変えられない。
 そう、『シンポジウム』は、「演劇の無力さ」を明らかにしてみせている。『東京ノート』で、舞台と客席を重ねた意図はわからない。あるいはそれは「舞台と客席の壁を取り払おうという動き」の一端、ある種の実験であったのかもしれない。しかし、『シンポジウム』では、舞台と客席を重ねることで、逆説的に、舞台と客席が隔てられていることを明視させ、さらには演劇が現実へと侵食することのできないものであることを明視させているのだ。『シンポジウム』において舞台と客席は限りなく近く、重なり合っている。そして役者と観客が同じ立場にあるかのような錯覚を抱く時間もある。しかし最後には、観客を突き放す。舞台と役者は、客席と観客に限りなく接近しつつ最後に線を引くことで、演劇と現実の断絶を明視させる。それは絶望的でもあり、また生産的でもある。演劇は現実から切り離されている。演劇は現実を変えられない。そこから、『シンポジウム』は現実に働きかけるのだ。
 東京デスロックは『東京ノート』以前にも客席を芝居の行われる舞台に重ねるように配置する演出を行なっている。それらを通じて多田淳之介は、舞台と客席、役者と観客の境界は演劇の宿命的に孕む原理であり、破ることのできないものであるという認識に至ったのではないだろうか。『シンポジウム』は、そうした認識を基にし、さらには利用しているようにも見える。明視させること――それは芸術の持つ唯一の力であり、限界である。芸術たる演劇が、現実を、この国の空気を、直接変えていくことはできない。演劇はただ、現実を異化し、我々に明視させるのみであり、劇場の外の現実は、黙って帰っていく観客たちの手に委ねられている。それを明視させるために、東京デスロックは観客を、舞台から客席へ、演劇から現実へ、冷たく突き落とさなければならなかったのである。