(神の)存在を問う営み——『若い読者のための哲学史』

 

 初めに述べておけば、私は哲学に関しては、学部で専門としていた程度の専門性もない素人なのだが、とはいえ文系で大学院まで進んでしまった以上哲学を無視するわけにもいかなかったから、入門書レベルの本はまあまあ読んでいて、しかし「使う」ということがないからどんどん記憶から消えてしまう。

 

 そういうわけで、たまたま何らかのセールでkindle版が安かったナイジェル・ウォーバートン『若い読者のための哲学』を読んだ*1のだが、なかなかおもしろかった。筆者は哲学入門書の執筆で有名な人物らしい。代表的な哲学者が基本的に時代順に並んでいるのかいないのか、デカルトとロックの間にパスカルスピノザ、リードが入って、ベンサムとミルの間にヘーゲルショーペンハウアーについての章が入り、と、見えにくくなっている流れもあり、「いない」哲学者もおり、そうしたところは、経験論だとか功利主義だとかいったテーマの別の本で補わなければならないけれども、一方でこの哲学者の並び方には、どうやら神の存在を巡る思想の流れが背景にあるようだ。

 

ソクラテスにとって、知恵とは多くの事実を知ることではないし、作業の方法や手順を知ることでもない。わたしたちの知の限界も含めて、わたしたちの存在の本質を理解することだ。こんにちの哲学者がやっているのは、おおむねソクラテスがやったこと、つまり、難しい質問をし、理由や根拠について考え、実在の本質について、また、いかに生きるべきかについて自分自身に問いかけ、そうした重要な問いに答えを出そうとすることである。

 

 これは本書の序論ともなっている、ソクラテスについての記述である。そしてその後の哲学者たちの記述においては、彼ら*2の哲学についての基本的な説明と共に、「神が存在する」という命題に対するスタンスが説明されている。初めは、単に、我々の感覚にはない、西洋における哲学と神学(神学と哲学?)の伝統の重さからくるものだと思って興味深く読んでいた。例えば「キルケゴールのもっとも有名な著作『あれか、これか』」という記述があるが、日本でもっとも有名なのは『死に至る病』だろう。どれだけ客観的に「もっとも有名」なのかはわからないが、この記述なども、日本とは違う西洋における哲学受容を感じるところだ。しかし、ソクラテスの章段から改めて考えてみれば、神が存在するのか否かという問いは、実は「存在の本質」の問いの一形態であるようだ。つまり、神のようなものの存在を考えるときには、存在とは何かという問いを、避けて通ることができないわけだ。これは、もしかしたら常識的なことなのかもしれないが、私には発見だった*3

 

 本書の哲学史最後の哲学者がピーター・シンガーなのもおもしろい。古代ギリシアやヘレニズムの哲学者についての記述と呼応する形で、いわば結論として位置づけられるのがピーター・シンガーになっている。読んだことのない哲学者ではあるが、学生の頃にその思想の一端は聞きかじっていて、過激という印象であったけれども、それは原理主義――哲学原理主義の過激さだったのだなぁと、本書を読んで改めて思う。

*1:普通に買おうとすると3500円くらい。高い……私だったらこれくらいの入門書にその金額は出せない。なお原著のkindle版は1500円(14ドル?)くらい。きっとそれほど難しい英文ではないだろうから、どちらかというとこちらがおすすめか(読んでないけど)

*2:思えば本書では章題になっている女性の哲学者は、サルトルカミュに挟まれたボーヴォワールを初めとし、ハンナ・アーレント、二人並んだフィリッパ・フットとジャディス・トムソンの四名だ。哲学史というものに現代に至るまで女性の名が出てこないことの意味を考えさせられる。本書に関して言えば、ハイデガーについてはアーレントの章で一段落触れるだけ、という英断がなかなか

*3:しかし、やはり、ハイデガーの章がないというのは、かなり意識的にそうしているはずだ。哲学を「存在」をめぐるものとして記述していながら、ハイデガーではなくアーレントの章なのだから……。